中国語の豆知識
情報更新は2003年4月2日



鐘小石









  キャッチフレーズ(妙語)                  

没事忙乱,有事乱忙    

 「没事」は「有事」と対応して「忙乱」は「乱忙」と対比する。なかなか良い中国語だと思う。「忙乱」は「又忙又乱」と言う意味で「乱忙」は「乱 米曹zao米曹 地忙」と言う感じだ。だから、「没事忙乱,有事乱忙」を併せて読むとついぷっと噴き出してしまう。それが出来たあなたに僕は「君が最高だ」と惜しみなく賞賛を捧げます。中国語の真髄を心得ているからだ。中国語が面白いけれども日本語も忘れではいけません。翻訳が母国語に対するテストだと言われています。さあ、日本語のテストだ。日本語訳はどうなっているだろう。なになに、もう出来たの、ねね、早く教えて、待ちきれずにわくわくしじゃう。
                             


前方緊,後方緊    

 「吃緊」は緊急事態であり、「緊吃」は思う存分食べると言う意味である。1940年代、戦争中。中国政府軍の前方戦線は緊急事態に成ったにもかかわらず後方にいる政府高官たちは横流しやりたい放題、大いに私腹を肥やした。闇市場に出回っている救援物資を目の当たりにした国民はこの創意溢れるキャッチフレーズを創造して腐敗した政府を辛辣に風刺した。 「前方」対「後方」、「緊」対「緊」。バランスが良くできている。「吃緊」は日常用語だけれども「緊吃」は造語。だからこそ、余計ユーモアなセンスが有って人の目を引く。それを見ると思わず笑ってしまう。直訳は「前方は緊急事態なのに後方は思う存分食べる」となるが、直訳が禁物。と言うわけで、日本語訳を楽しみにしています。


金銭並非万能,没有金銭万万不能    

 金銭:金銭、お金のこと。並:そのように見えるが実際そうでもないニュアンスを表す
言葉、「非」「不」と組んで使う。非:非、否定のこと。文章語であり、口語は「不」で
ある。「他不是好人」と「他並非(不是)好人」はどう違うか探ってみよう。万能:万能、
何でも出来ること。没有:ないこと。万万:絶対、決してのこと、否定形と組んで使う。
不能:不能(操縦不能)、出来ないこと。というわけで、直訳すれば「金銭は万能でもな
いが金銭がないなら絶対だめ(不能)だ」となる。「万能」と「万万不能」はなかなかの
良いコンビだ。さてと、直訳は禁物だから日本語訳はどうなるでしょう。ご回答をお楽し
みにしています。




  洒落言葉(後語)

理発挑子――一頭熱    

 昔、床屋さんは片側に湯を沸かす竈を、もう片側に腰掛けや理髪道具を担いで村々を回って理髪をした。熱いのは竈の方だけだから「理髪挑子ーーー 一頭熱」という「xie後語」が出来た。さてさて、この「xie後語」は何を喩えるでしょう。ヒント:恋愛関係、おしまい。日本語にも同じような洒落言葉がありますから見つけだそうじゃありませんか。



天橋的把式――光説不練    

 「天橋」:北京の地名、昔大道芸人の集中地。「把式」:大道芸人のこと。昔、天橋にいる大道芸人は自分がどうのこうのと上手いとばかり言ってなかなか芸を見せないことからこの「天橋的把式――光説不練」が生まれた。それでは、この洒落言葉の意味はなんでしょう、その日本語訳は?

                    

狗ー(元の漢字はnian三声)」鴨子―― 呱呱叫    

 狗:犬のこと。ー(元の漢字はnian三声):追い払うこと。鴨:家鴨のこと。呱呱擬音詞、家鴨の叫び声「グアグア」のこと。叫:叫ぶこと。それで、直訳すると「犬は家鴨を追い払うから家鴨がグアグアと叫ぶ」となる。この「歇後語」には「 口瓜 口瓜 叫」は家鴨の叫び声だけど 「呱呱叫」の熟語としての意味は「上手」という意味だ。さてさて、この「歇後語」に当たる日本語の洒落言葉はなんでしょう。(酢屋の看板、上酢「上手」)




諺(俗語)

情人眼里出西施    

 「情人」:恋人(ただし、愛人の意味もある。要注意!)。「眼里」:眼中。「出」:出る、出現する。「西施」:春秋戦国時代では昔ながらの天下第一の美女(楊貴妃ではない。要注意!)。つまり、恋人なら醜女でも美女に見えるわけだ。さてと、これに当たる日本語の諺はなんでしょう。


痩死的駱駝比馬大    

 直訳すると痩せて死んだ駱駝は馬より大きいとなる。本来良いものは、条件が悪くなってもやはり値打ちがあると言うこと。さあ、同じ意味を表す日本語の諺はなんだ?
                                   

三個臭皮匠,頂個諸葛亮    

 三個:三人のこと。臭:臭いこと。においだけでなく見下げる、軽蔑する意味もある。例えば臭小子、(あいつめ)臭女人(おんなめ)臭男人(おとこめ)・・・。皮匠:皮革職人のこと。頂:相当すること。諸葛亮:諸葛孔明のこと。中国の三国時代の知恵大将。直訳すると「三人の下手くそ皮革職人は一人の諸葛孔明に相当する」となる。さてさて、この「俗語」の意味はなんでしょう、それに当たる日本語の諺はなあんだ?(三人寄れば文珠の知恵)


  臨陣磨槍,不快也光。    
 臨:臨むこと。陣:陣のこと、例「背水の陣」。磨:磨くこと。槍:槍のこと。不:不、ない、否など否定のこと。快:鋭い、切れること。也:も、でものこと。光:光ること。直訳すると「陣に臨んでいたときに槍を磨いたら切れなくでも光る」となる。さてと、意味は何でしょう。それに当たる日本語はどれでしょう。(付け焼き刃)

                           

 
熟語(慣用詞組)

吃酢    


 唐の皇帝は美女を第二夫人として側近大臣に賜った。が、第一夫人は反対!反対!!断固反対!!!「死んでも許さない!」と皇帝に言い張った。皇帝も負けてはいない。「それなら死んで貰おう。それは毒入りスープだ。飲め!」と皇帝が命じた。第一夫人は戸惑いせずに飲み干した。でも、苦しみはしたが死には至らなかった。何処にでもあるごく普通の酢に過ぎなかったからだ。(なんだ、単なる肝試しじゃないか)「負けた、負けた、お前の勝ちだ。わしの命令を白紙に戻そう」と皇帝が言った。第一夫人はたいそう喜び側近大臣も喜んだ。ただし、それはぬか喜びでした。 以来、後人は「酢」で男女関係における嫉妬を喩えるようになった。さてさて、これに当たる日本語の熟語はなんでしょう。その語源も教えてくださればありがたいですね。

                           
                                                
敲竹杠    

 敲:叩くこと。竹:竹のこと。杠:棒のこと。直訳すると「竹の棒を叩く」となる。どういう意味でしょうかね。昔、四川省(あのマーポー豆腐の古里)狭い山道ばっかり、馬車さえ通れなかった。それで、馬車の代わりに「滑竿」と言うものが出来た。(滑竿:二本の長い竹の棒で竹の椅子を通す交通道具。凭れが斜めになって座り心地が実に良さそうだ。凭れが斜めになった新幹線の座席みたいなものだ。前後二人の担ぎ屋さんは竹の椅子に座っているお客さんを担いで歩く。)しばらく歩くと後ろの担ぎ屋さんは竹の棒を叩く。お客さんはそれを聞くと黙ってお金を出す。しばらく経つと又同じ事を繰り返す。お客さんは腹が立ってもそうせざるを得ない置き去りされると獣の餌に成ることを知っているからだ。 と言うわけで、人々は「敲竹杠」を以て言い掛かりをつけて財物をゆすり取ること、弱みにつけ込んでまきあげることを喩える。さてと、「敲竹杠」の意味はなんでしょう。それに当たる日本語の熟語があるかなあ。(ぼる)


拍馬    

 昔、馬市に張三はいつもお世辞を言っても良いとは言えない誰かさんの馬のお尻を叩きながら「駿馬!駿馬!」と誉めまくった。それを見た李四、王二麻子たちは皆薄笑いを浮かべた。張三が馬を誉めるのではなく馬のご主人の機嫌を取っていたのは明々白々だからだ。そして、「拍馬pi」は熟語としてあっという間に広がって今現在も中国人に愛用されている。それでは、日本語版の「拍馬」はなんでしょう。もしその出処を教えてくだされば百点満点を差し上げます。



                  
 稍(元は舟偏)公多了打爛船    
 舟肖 公:船頭のこと。多:多いこと。了:過去形「た」のこと。打:打つこと。爛:壊すこと。船:船のこと。直訳すれば「船頭が多かったら船を打ち壊す」となる。仕事をする場合、指揮する人が多くてはかえって物事はうまく運ばないことを言う。さてさて、これに当たる日本語の諺はなんでしょう。(船頭多くして船山へ登る)




  小菜一die(「蝶」の発音、「石」偏)    
 小菜:漬け物類のこと。一:一のこと。die:皿のこと。直訳すれば「漬け物一皿」となる。「ちょろいちょろい」と言う場合の喩え。さてと、日本語は?(朝飯前)







順口溜

       
困難象弾簧,看に強不強,(あなた)強他就弱,弱他就強。    


  直訳は「困難はバネのようだ。(勝負は)あなたが強いかどうかによるものだ。あなたは強ければ彼は弱くなるがあなたが弱ければ彼は強くなる」となる。「黄huang」対「強qiang」、母音はみんな「ang」ですから韻を踏んでいる。「順」:順調。口:口。溜:滑らか。順調に滑らかに口から出てくるから「順口溜」と言う。これは中国語の表現形式の一つであり、条件は1.韻を踏む。2.リズム感がある。さてと、日本語名はなんでしょう、この二つの条件を踏まえてどう訳したらいいでしょうか。






           

早口言葉(口令)

十四是十四,四十是四十。十四不是四十,四十不是十四。    

 「shi」と「si」の口慣らしをする早口言葉です。断っておきますが出来ない中国人も一杯います。さあ、上手くできるように練習して中国人を一つ驚かそうじゃありませんか。

                           


                   吃葡萄不吐葡萄皮,不吃葡萄倒吐葡萄皮    

 吃:食べること。葡萄:葡萄のこと。不:否定形のこと。吐:吐くこと。皮:皮のこと。
倒:却ってのこと。それで、直訳すると、「葡萄を食べる時、葡萄の皮を吐かないけど葡
萄を食べないとき、却って葡萄の皮を吐く」になる。文そのものは意味があまりないが発
音の練習になる。読んでごらん、意外に発音しにくいですよ。











謎かけ(猜謎)

千条線,万条線,到地上都不見。    

 直訳は「千本の糸、万本の糸、地上まで落ると見えなくなる。」となる。ほんとに謎めいた謎だね。答えはなんでしょう。本物の糸ではないのは確かだ。知恵を絞って考えましょう。なお、「線xian」対「見jian」、母音はみんな「ian」ですから韻を踏んでいる。だからこれも「順口溜」に入る。さてさて、日本語訳は?



  上辺毛,下辺毛,中間一顆黒葡萄。    


 上辺:上の辺、上のこと。毛:毛のこと。下辺:下の辺、下のこと。中間:中間、真ん
中のこと。一顆:一粒、一つのこと。黒:黒いこと。葡萄:葡萄のこと。直訳すると「上
には毛あり、下には毛あり、真ん中には一粒の黒い葡萄がある」となる。さあ、これはな
んでしょう。葡萄ではないのは確かだ。知恵を絞って考えましょう。私は知っていますが、
でも、教えてあげない。「お願いします」と言われてもだ。「宜しくお願い申し上げます」
と言われたら少々考えてあげますけど・・・。




 四字熟語(成語)
朝三暮四    


 朝:早朝のこと。三:三つのこと。暮:暮れのこと。四:四つのこと。「朝三つ、暮れ四つ」ってどういうこと?さっぱり分かりませんね。そこには、一つ面白い話があるのです。いらいらせずに聞いてください。宋の時代、猿を飼っている男がトチの実を朝三つ暮れに四つ与えるというと、猿は怒り、朝四つ暮れ三つ与えるというと大喜びした。 この物語から「朝三暮四」という「成語」ができた。人々は「朝三暮四」を以て目先の違いだけ拘って、同じ結果であることに気付かないこと、また、言葉巧みに人を騙したり、愚弄したりすることを喩えるようにした。しかし、時代の移り変わりによって今の中国では「気まぐれ」という意味になった。さてと、その日本語は?  (朝三暮四)


                           
四面楚歌    

 大昔、劉邦の漢軍と項羽の楚軍は戦争をしていた。最後に楚軍は漢軍に水も漏らさぬ包囲網を幾重にも敷かれた。楚軍は食糧断絶寸前だった。おまけに兵士は疲れ果てていた。ある日、漢軍は突然四方八方(四面)から楚国の歌(楚歌)を歌い始めた。静寂たる夜半、白く光る月、不気味な山奥・・・、感傷的な故郷の歌謡が漂う。妻子、父母、兄弟、友人、そして恋人(中に愛人もいるだろう)・・・、銘々思いを巡らす。楚軍はついに戦意喪失した。戦線の総崩れを見ていた項羽は、自殺した。以来、後人は「四面楚歌」と言う四字熟語を以て孤立無援、危機一髪の状況を喩えるようになった。さて、日本語訳はなんでしょう。ちょろいちょろい、かなあ?


塞翁失馬,焉知非福    
 
直訳すると辺境の要塞にいる老翁は馬を失ってどうやってそれが福ではないことを知ることが出来ようかとなる。昔、北方の国境に住む老翁の飼い馬が隣国へ逃げて行ったので、村人が同情すると、「その内に良いこともあるさ」と言って別に悲しむ様子もない。数ヶ月後、その馬がひっこり隣国の駿馬を連れて帰ってきた。村人がその幸運を喜ぶと、「どうもいやな予感がする」と言って嬉しそうな顔をしない。ところが息子がその駿馬に乗って落馬し、腰をくじいてびっこに成ってしまった。村人が気の毒がって見舞いに行くと、老翁は「いや、わるいことばかりはないよ」と平気である。一年後、隣国と戦争になって、健全な壮丁はみんな召集されて、ほとんど戦死した。老翁の息子はびっこのために徴兵を免れて生き延びることが出来た。この物語は「塞翁失馬,非福」の出処である。さてと、この諺は何を意味しますかその日本語訳はなんでしょう。



三顧茅廬    

 三:三のこと。顧:尋ねること。茅廬:藁小屋のこと。直訳すると「藁小屋を三回尋ねる」となる。 中国の三国時代、劉備(属と言う国の王、今の四川省当たり)は知恵大将諸葛孔明を宰相として迎えるために自ら訪ねに行ったがあいにく留守だった。二回目は大雪を冒しながら伺ったが思いがけないことに諸葛孔明は外遊に出かけていた。三回目は諸葛孔明はいるにはいたが昼寝の最中だった。劉備は邪魔をせずに外で諸葛孔明が起きるまで待っていた。諸葛孔明が起きてから劉備は尋ねた。お互いに天下国家、古今東西を論じ合った。最後に劉備は誠心誠意に諸葛孔明を招いた。諸葛孔明は元々戦乱に介入するつもりがなく隠居生活を続けたいと思っていたが、劉備が三回も訪問して誠心誠意に招くのを見てついに承諾した。 以来、礼を厚くして招聘することを「三顧茅廬」で喩えるようになった。 さてと、これに当たる日本語の諺はなんでしょう。ヒント:「三顧」まではいっしょ。(三顧の礼)

                                   


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